ブラジル人ファミリーの話。

あの時の選択は正しかったのか。

ベストではないのは分かっているけど、もっと上手くお別れする方法はあったはずです。

 

2015/09/08 長旅の末、サンジャンピエドポーにたどり着き、一泊10ユーロという今思い返せばぼったくりでしかないアルベルゲに宿泊しました。

翌日6時、真っ暗な中慣れない手つきで荷物をまとめ記念すべき巡礼第一歩を踏み出したのです。

しかし第一歩を踏み出したものの、道が全くわかりませんでした。

巡礼事務所でもらった地図とずいぶん長いことにらめっこしましたが、右に行くのか左に行くのかそれすら分からなかったのです。

朝早すぎて聞く人もいない。でも間違った方向には進みたくない。

どうしようどうしようとうろうろしていた所、出会ったのがブラジリアンファミリーでした。

 

2階のバルコニーのような場所で身支度を整えているグループに"カミノはどっちですか?"と聞いてみたのです。

反応が悪いのでどうしたものかと思い様子を伺っていましたが、すぐにぞろぞろと下に降りてきて、足早に歩き出しました。

最後尾にいた一番若い兄ちゃんが私に向かって"来いよ"という感じのジェスチャーをしたので私も後ろをひょこひょこついて行きました。

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話を聞くと彼らはブラジルから来たファミリーとの事。

パパとその息子のファビアンとラファエル、従兄弟のアドルワルド。

パパとアドルワルドは英語が全く話せません。

ファビアンとラファエルは少しだけ話す事ができました。

この先、この2人が私の通訳をしてくれることになります。

 

巡礼道中、彼らはある粉をお花が咲いている所や景色が綺麗な所に蒔いてはお祈りをしていました。

その粉とは、娘ミレラの遺灰です。

この巡礼の3年前、彼女は19歳の麻薬中毒者の少年に頭を撃たれて亡くなっていたのです。

パパはミレラの遺灰と写真を肩身離さず持ち歩いていました。

巡礼初日に私が現れたので、娘が帰って来たと思ったのでしょうか、彼はよく私の手を握って歩きたがり、私のことをミレラと呼びました。

時より私の手を握ったまま涙を流して歩いていた事を今でも鮮明に覚えています。

 

お金が引き出せない事が判明してからも、彼らは私と一緒に歩いてくれました。

毎晩アドルワルドが料理をしてくれて私にはお金は一切求めてきませんでした。

朝はお金の事を考え我慢したり少しだけ食べようとしていたのですが、そんな私をみてお兄ちゃん2人はよく私に自分の分を分けてくれたりしていました。

 

ただ、歩いているうちにこれでいいのか?と思うようになってきたのです。

私とパパとラファエルは体力があり歩くのも早かったので、いつも3人で歩いてきましたが、ラファエルはとても気分屋で、機嫌が悪いときは通訳をしてくれないですし、時にポルトガル語で怒鳴ってきたりするのです。

彼はよく二人きりになりたがり、"そういう意味"でのお誘いをしてくるのですが、断れば次の日は無視されました。

パパは私の事を娘のように可愛がってくれていましたが、その他のメンバーにとっては私はただの一緒に歩いている日本人であり、他人。

"日本人"の意味で"ジャパ"と呼ばれ、用がある時はPsssssと呼びます。

ラファエルは私をよくパシリにしましたが、お金の面で助かってる以上、断る事はできませんでした。

 

ある日、アドルワルドが私の事をジャパと呼んだ事で頭の中で何かが弾けました。

「もう無理。」

みんなが休憩している間にグループを抜けて、一人で泣きながら歩き続けました。

パパは私を追いかけてきましたが、それすら鬱陶しく感じてしまい、道になっている果物を取って差し出してくれたりしましたが、私はそれを全て拒否しました。

今思い返すと言葉が通じない私に対し、パパは精一杯の事をしてくれようとしたのだと思います。

そんな温かいパパの心遣いもさることながら、振り切る形でグループを外れました。

一緒にサンティアゴまで歩き、その後一緒に旅行しようというパパの約束も、もうどうでもよくなってしまったのです。

とにかく孤独でした。

 

グループを外れた後、何度かファミリーにばったり会いました。

その度にパパは力強く抱きしめてくれ、一緒に歩いてくれるかと聞いてくれましたが、曖昧な返事でその場をやり過ごし、結局怖くてグループに戻ることはできませんでした。

何が怖かったのか具体的には分かりませんが、足がすくむような、戻ったらいけないというような気持ちがあり、2度か3度会った後彼らの姿を見る事はなくなりました。

 

彼らと歩いている間、英語が話せるブラジル人のリカルドと友達になりました。

彼にグループを離れた事を告げると、「カミノはまおのモノだから、一人になりたければそれでいいと思う。ただ、いろいろ助けてもらったんだからせめてお礼は言うべきだし、直接グループを外れるということを自分の口で言うべきだ」と言われました。

本当にその通りだと思います。

ただ私には最後までそれができませんでした。

 

帰国した半年後くらいでしょうか。

お礼を込めて、日本のものを宅配便で送ることにしました。

アドルワルドの会社のビジネスカードを貰っていたのでそこの宛先に荷物を送りました。

2ヶ月程経った頃、アドルワルドから荷物か届いたとの連絡がWhatsappに入りました。

しかしその事に対してラファエルが大激怒。

なぜ俺に送らないでアドルワルドなんだとご立腹のメッセージが立て続けに届きました。

私も逆ギレしてしまい、大ゲンカに発展。

連絡先をブロックしてしまい、ブラジル人ファミリーとは完全に疎遠になってしまいました。

 

今でもよくパパのことを思い出します。

パパは私の事をどう思っているんだろう。

約束を破ったことを許してくれるだろうか。

またいつか会うことがあれば、どう迎えてくれるだろう。

 

自分がしたことは、まるで良いことではありません。

助けて貰ったにも関わらず、お礼も別れも言わずに勝手にいなくなったのですから。

ただ、どうすればが良かったのか。未だに答えがでません。

パパの為にも最後まで一緒に歩きたかった。でも、あの環境はとても辛かったです。

パパはもう80歳近いのではないでしょうか。

パパが生きている間にもう一度会いたい。会って謝りたい。

でもどうすればいいか分かりません。

 

さっき、ラファエルに約1年ぶりにメッセージを送ってみました。

しかし返ってきた言葉は"誰?"でした。

喧嘩したときに、私の連絡先を消したのでしょう。

電話番号から私だと言うことが分かったみたいですが、私もなんて返事を返せばいいのか分かりません…。

 

早足で歩くパパの背中を追いかけていた頃がとても懐かしいです。

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